映画『ジョーカー』の感想。

映画『ジョーカー』見てきました。

 

暗黒入門の教科書かと思いました。

自分の少しの悪を引っ張り出され。

気持ちが引きづられ。持っていかれる映画はない。

絶望から人が落ちていくリアルなストーリーを見せられました。

これこそ完全なスーパーダークである。

 

と思うのと同時に。

自分は少し思った。ジョーカーが次の常識なのかもしれない。

 

ジョーカーって悪い人なのか?

こいつやばいなと印象付ける不気味な笑い声、薄暗い部屋で暮らす環境、

そして人殺し。

振り切った悪を印象付ける。

 

人殺しはさすがに議論の余地ないでしょ。と言う反論もあるかと思うが。

確かに人殺しは絶対ダメだ。もう一度言う。絶対にダメ。

 

でも、本当の弱者って追い詰められた時、どうやって強者に対して抗うのだろうか。

目に見えないものから攻撃され、そのまま闘わず。怒らず。主張せず。

扱いやすい人間として利用される。

 

地下鉄の車内。強者(エリートサラリーマン3名)による弱者(ジョーカー)への

圧力。反発する手段がなく、最後に手にしたのが銃なわけです。

 

その人に狙いをさだめ発砲した後。もう終わった。ついに自分は。。

これまで必死に社会の常識にしがみつこうとしていた。そんな人間が。

あきらめた。

 

その瞬間一気に崩れていく。全くブレーキがかからない。もうどうでも良い。。

そして、うす暗いトイレの鏡の前で踊り出すのだ。

 

世間が異常なのか。それとも自分が異常なのか。というシーンがあった。

最近ニュースである香港警察が高校生を実弾で左胸に撃っているが、これはどうなの?

 

母親を殺す時にジョーカーは。

自分の人生は悲劇だと思っていたが、

でも違う。喜劇だ。

 

と言っていた。

観る側が。それを楽しみ。そしてその中に人生の真実を見る時。

本当の喜劇になる。観る側が悲惨な出来事だと感じた場合。それは悲劇になる。

 

地下鉄での殺人事件が弱者に火をつけ象徴として扱われ、

ゴッサムシティの民衆は殺人ピエロに賛辞を送り仮面を被る。

 

何かから解放されたかのように車を焼き払い。暴動を行い。ジョーカーが乗る

パトカーを歓声とともに送り出す。

 

異常とは普通ではない。どこか違っていて、くるっていること。

常識って?正義って?

 

くすぶっていた。

弱者の真実をあぶり出したジョーカーはダークではなく。

これからの常識を映し出すヒーローなのかもしれない。

手段さえ間違わなければ。

 

 

 

リアルで危ない映画だ。